親が嫌いな罪悪感からの対処法:親子関係のトラウマと教えの起源
「親との関係で悩んでいる人は多いと思います。
親が嫌いだと感じてしまう自分を責めていませんか?」
「僕自身、母が亡くなった時に“もっとちゃんとしておけば”と強く後悔しました。
でも今振り返ると、無理に親孝行しようとしても苦しかったと思います。
大事なのは“自分が後悔しない関わり方”かと」
「生きているうちに、自分を犠牲にしすぎないで」というメッセージ
1親を嫌う気持ちは自然?罪悪感を持つ必要はない理由
まず、そもそも「親が嫌いで悩んでいる」という人は多いと思います。
そして、その「親が嫌い」という気持ちに対して、罪悪感を持ってしまう人もいますよね。
でも、別にその罪悪感を持ってもいいし、親を嫌いだと思ってもいいんです。
なぜかというと、もし小さい頃に親が寄り添ってくれたり、応援してくれたり、悩みを聞いてくれたりしたなら、子どもが親を嫌いになる理由なんてありません。
そういう親なら、自然と「ありがとう」と思えるし、良い関係が続いていくものです。
逆に言えば、親を嫌いになるということは、それだけの理由があるということ。
普通に育てられていれば、嫌うこともないはずなんです。
これは親子だけの話じゃなくて、友達や職場の人間関係でも同じです。
良い人間関係なら信頼が生まれるし、嫌な人を「無理に好きになろう」とすること自体が不自然ではないですか?。
だから、「親を大切にしなさい」という言葉も、本来は“良い親であれば”という前提のもとに成り立つものだと思います。
無理をしてまで「良い親だ」と思い込む必要はありません。
2. 親を大切にする教えの起源:儒教・仏教・キリスト教の影響
「親を大切にしなさい」という考えは、実は昔からさまざまな宗教や思想の中で語られてきたものです。
たとえば、儒教では“孝(こう)”という思想があり、これは「親への敬意と感謝を忘れないこと」を重んじる教えです。
仏教でも、親への恩に感謝し、命を授けてくれた存在として敬うことが説かれています。
また、キリスト教においても「汝の父母を敬え」という言葉があり、親を敬うことが徳のひとつとされています。
さらに社会的な側面で見ても、昔は家族がひとつの共同体として成り立っていました。
親が子を育て、年を取った親を子どもが支える――そんな“相互扶助”の関係が自然に生まれていた時代です。
そうした背景から、「親を大切にする」ことは社会の仕組みの中でも当たり前とされてきました。
また、「親を大切にする=命のつながりを大切にする」という考えもあります。
親を敬うことは、自分自身の命の源を尊ぶことだ、という発想です。
ただ、ここでひとつ問題があります。
こうした教えは、もともと“お互いを大切にし合う関係”として成り立っていたはずなのに、
現代では「親を無条件に大事にしなければならない」という片側だけの教えとして伝わってしまっていることです。
3. 教えの限界:無条件に親を敬うのはおかしい
「親を大切にしなさい」という教えには、肝心な部分が抜け落ちているように思います。
問答無用で、頭ごなしに「親だから敬え」「親なんだから感謝しろ」と言う――
それは本来の意味とは違うはずです。
宗教や道徳の教えというのは、ただ「親に感謝しなさい」と言っているわけではありません。
本来は、親は親としてよい生き方をしなさい、子どもは子どもとして正しくあれという、双方の在り方を説くものでした。
どちらか一方だけが「我慢しなさい」「敬いなさい」と押しつけられるのは、おかしいと思います。
にもかかわらず、今の社会では「無条件に親を敬うべきだ」という考え方が独り歩きしている。
けれど、そうしていない――つまり、子どもを支配したり、傷つけたりする“ダメな親”にまで敬意を払えというのは、無理があります。
もしそういうことを言う人がいたら、それはただ「人の痛みを理解していない人」なんじゃないかとすら思います。
だから、無理に自己嫌悪を感じたり、無理やり親を好きになろうとしなくていい。
現実的に、無理なことはいくらでもあります。
本来「親を大切に」という言葉は、ちゃんと愛情を注いでくれた親に対しての話です。
子どものころに自分を育て、守ってくれた人に感謝するのは自然なこと。
でも、大人になってから「やっぱりこの人は苦手だ」「距離を置きたい」と思うような相手にまで、無理に好意や尊敬を持つ必要はありません。
たとえば、美味しくない料理を「美味しい」と無理に思い込むようなものです。
よくないものを、良いものだと感じようとすること自体が不自然ですよね。
「嫌いなものを嫌い」と思えること、それ自体が健全な感覚だと思います。
4 不健全な親子関係の特徴:コントロールや上下関係の継続
多くの場合、親子関係の問題には、親が過干渉してきたり、大人になっても親子関係が上下のままで対等に会話できないパターンが見られます。
子供の頃から親の態度が悪かったり、親が子供をコントロールしようとする不健全な関係性が続いているのです。
そういう親に対しては何を言っても変わらないことが多く、自分が変わるしかないのが現実です。取れる方法は、距離を置くことくらいでしょう。
だいたい、そういう関係性で育った人は、親に強く出られない傾向があります。
小さい頃からの上下関係が染みついていて、言いたいことが言えなかったり、本音を話しても揉めるだけだったりします。
だから、もうやりようがない状態になってしまうんです。そんなときは、離れるに越したことはないと思います。
大人なんだから、距離を取る自由もあります。
そして、私の経験から学んだのは、「自分が死ぬときに後悔しない生き方をしたい」ということ。
つまり、親のためではなく、自分のために、できる範囲で関わることです。親との関係も「適度な距離感」でいいと思います。
自分が苦しくならない範囲で付き合うのがベストで、自己犠牲や我慢をしてまで関わるものじゃないんです。
それは「親孝行」ではなく、「自分の消耗」に過ぎません。
多くの親子関係の問題は、親が過干渉だったり、子供をコントロールしようとしたり、上下関係のまま大人になっても抜け出せないパターンが多いです。
子供がいくつになっても親が「上」にいて、対等に会話できない関係は不健全だと思います。
そして残念ながら、そういう親は何を言っても変わらない。だから、自分が変わるしかないんです。
取れる方法は「距離を置くこと」しかない場合も多いですが、それでいいと思います。
だいたい、そういう関係性の中で育った人は、親に強く出られない。小さい頃からの力関係が染みついていて、言いたいことも言えない。
本音を話せば揉めるだけ。だから、もうやりようがないって思ってしまう。
そんなときは、離れるに越したことはない。
大人なんだから、距離を取る自由もある。
5 私の経験談:母親の死と後悔の乗り越え方
自分の場合、28歳のときに母親が亡くなりました。
あれからちょうど20年。まさか自分が今、こういう心の仕事をしているとは、当時は思いもしませんでした。
あのときは、親孝行をしなかったことを本当に悔やみました。
涙も止まらず、自責の念も強かった。
人よりも母に迷惑や心配をかけてきた分、余計にその気持ちは大きかったと思います。
悲しさはすぐには癒えず、心が落ち着くまでに10年はかかりました。
でもその10年で気づいたのは、「時間が自然に心を癒す」ということ。
人の気持ちは、急いでも無理に変えようとしても、自然に落ち着くまでは時間が必要なんです。
この経験を通して学んだのは、
“自分が亡くなるときに後悔しない生き方をしていたい”ということでした。
親との関係は「親のため」に頑張るものではなく、「自分が後悔しないため」に整えるもの。
自己犠牲や我慢をしてまで関わる必要はありません。
それは「親孝行」ではなく、「自分をすり減らすこと」になってしまうからです。
親が生きているうちにできることは、
“自分を大切にしながら、できる範囲で関わること”。
それで十分なんだと思います。
6 関係改善の方法:カウンセリングや新しいアプローチを試す
もし、「それでも親と仲良くしたい」「できることならうまくやっていきたい」と思うのなら、もう自分が変わるしかありません。
ただし、これは何年も、場合によっては何十年も続いてきた深い問題です。
だから、自分ひとりで何とかしようとしても、正直、難しいです。
たとえば、カウンセリングに通っても変わらなかったり、いろいろ試しても効果を感じられない場合もあります。
その場合は、もう違う方法を選ぶしかない。
はっきり言ってしまえば、「今までやってダメだったやり方を続けても結果は変わらない」ということです。
AをやってAの結果しか出なかったなら、Bという別の方法を選ぶしかないんです。
実際に、うちのサロンに来た方の中にも、
「親と対等に話せるようになった」
「親から適切な距離を取れるようなった」
「親への恐怖心や気遣いがなくなって、楽になった」
「無理して笑わなくてもいい自分になれた」
という変化を体験した人がたくさんいます。
結局のところ、こうした親子関係の問題も、突き詰めると“脳の状態”が関係しています。
特に「過覚醒」という状態が続いていると、頭では理解していても、感情がついてこない。
つまり、「わかっているのにできない」という状態が起きてしまうんです。
自分ではもうどうしようもできない。
でも「人に頼むのは苦手」「お金をかけてまで…」と思ってしまう。
その結果、同じ悩みを抱えたまま何年も過ごしてしまう人が多いです。
だからこそ、考えてみてほしいんです。
その気持ちから本気で解放されたいのか?
お金をかけて、時間をちゃんとかけて、向き合いたい問題なのか。
それとも「つらいけど、まあこのままでいいか」と放置するのも自分です。
解決方法を提示されたうえで、今まで通りに悩み続けるのかは自分次第です。
その現実を理解することが、解決への最初の一歩になります。